地方が抱える社会課題の一つである、移動手段の不足。この課題に挑む『newmo株式会社』は沖縄にて「ゆいかじ交通」を立ち上げ、地域の移動インフラを再定義しようとしています。同事業の事業管掌執行役員に就任した酒匂 大氏は、リクルートからキャリアをスタートし、スタートアップ複数社で実績を重ねてきた気鋭のビジネスパーソンです。
一時は他社への入社に傾きかけた酒匂氏が、なぜ最終的に沖縄での挑戦を決意したのか。その背景には候補者の本質的な願いに寄り添ったProfessional Studioと、ご家族の不安にまで誠意で応えたnewmo経営陣の熱量がありました。求職者と企業の双方の魅力を引き出し、意思決定に至るまでの軌跡をご紹介します。
【Profile】
newmo株式会社
ゆいかじ交通 常務執行役員
酒匂 大 氏
大学卒業後、リクルートライフスタイルにてキャリアをスタート。旅行マッチングプラットフォーム事業部に配属され、営業から事業企画、プロジェクトマネージャーなどビジネスサイドの職種を網羅的に経験。その後、複数のスタートアップを渡り歩き、それぞれの企業で成果と実績を積むことで事業貢献を果たす。2026年にnewmoへ参画。現在は沖縄にて「ゆいかじ交通」事業管掌執行役員として八面六臂の活躍ぶりを見せている。

選択肢を増やし、マッチングを生み出すという一貫した軸

まずは酒匂さんのキャリアの原点について教えてください。
酒匂: 私は鹿児島県の徳之島で18歳まで育ちました。人口わずか2万人程度の小さな島です。私が大学進学のために上京して最も衝撃を受けたのは、東京と地元の選択肢の格差でした。
地元には私より圧倒的に優秀な友人がたくさんいましたが、彼らの多くは「親の仕事の延長線上」という非常に限られたキャリアを選んでいました。決してそれが悪いわけではありません。ただ、東京で多様な進路を選ぶ人たちを見た時「地元の彼らにも、もっと活躍できる場所があるのにもったいない」と痛感したのです。
閉鎖的な環境にいると、どうしても選択肢を知る機会が限られます。私はたまたま東京へ出て海外などにも触れ、自分に合う道を見極める力をつけることができた。納得のいく人生を選ぶには、意思決定の前にまず「多様な選択肢に触れる体験」が欠かせません。この気づきが、私のすべての原点になっています。 そこからファーストキャリアとしてリクルートに入社されるわけですね。
酒匂: はい。最初の会社としてリクルートライフスタイルを選びました。『じゃらん』や『ホットペッパー』『ホットペッパービューティー』といった日常消費領域の事業です。
いずれも普段の生活をどう過ごすか、という選択肢を提示するサービス。世の中に圧倒的な選択肢を作り出し、人々が自分で大切な意思決定をできるようにするという企業の姿勢に強く惹かれました。そこでの事業成長に関わることができれば、意思決定の機会を一人でも多く提供できると考えたからです。それ以降のキャリアでもドメインこそ変わりましたが、一貫して何らかの選択肢を増やし、マッチングを生み出す事業に関わり続けてきました。

リクルートでの約7年間の経験からは、どのような学びがありましたか?
酒匂: ビジネスパーソンとしての基礎体力を徹底的に叩き込んでいただきました。リクルートでは独特のカルチャーとして「それでお前はどうしたいの?」と自律性を強く求められます。実は私は自発的な「WILL(やりたいこと)」が少ないタイプ。入社当初からWILLが少ないなりに思考を引き出す工夫を重ねたり、先輩方に揉まれて成長できました。
また、リクルートでは同じドメインに長くても2年程度しか留まらず、定期的にジョブローテーションが行われます。そのため2年というサイクルから逆算して明確な成果を出すための思考と行動様式が叩き込まれました。この「逆算して成果を出す」という感覚は、その後のスタートアップキャリアでも非常に役立っています。 その後スタートアップへ転職されてから、苦労された点はありましたか?
酒匂:リクルートの洗練された文化の中で、いかに自分が多くの暗黙知に守られていたか。それに気づいたのは転職してからのことでした。スタートアップでは同じ言葉を発しても、意図通りに伝わらないことが少なからずありました。焦りから前職のやり方を押し通し、周囲と壁を作ってしまうという失敗も経験しました。
これではだめだ、と一度立ち止まり、視座を一段あげることに。主語を「目の前の事業と仲間」に置き換えることでカルチャーのギャップを乗り越えていくことができるようになりました。もともと多様なバックボーンを持つ人たちをすり合わせることは、学生時代から自分が得意とする領域。視点の切り替えさえできればクリアできるハードルだったわけです。
条件の一致を超えた「本当の決め手」を求めて

前職の物流スタートアップでも成果を発揮されていた中で、転職を考え始めたきっかけは何だったのでしょうか?
酒匂: 前職でそのまま物流領域の課題解決に向けて走り続ける道もありました。しかし中長期のキャリアを捉え直した時、リクルート時代から抱いていた「地域の選択肢の最大化」というテーマに、まだ真正面から挑戦できていないと思い至ったのです。
東京のスタートアップコミュニティで恵まれたキャリアを培ってきましたが、この延長線上で35歳、40歳を迎えて良いのだろうかという迷いもありました。そこで、できるだけ早いタイミングで地方へ移住し、これまでの経験を地域社会に還元できる仕事を探し始めました。 地方での挑戦を具体化する中で、どのようなハードルがありましたか?
酒匂: 完全に未知の地場産業に飛び込んでスキルが通用しない、というリスクを避けるため、自分のキャリアを活かせる接地感のある場所を探していました。
ありがたいことに多くの求人をご紹介いただきましたが「地方移住は許可するが、担当業務は都市部の大規模マーケット向け。機会があれば地方の案件も取ってきて良い」という提案がほとんど。しかし、それでは住む場所が変わっただけで、私が本当にやりたい「地域の課題解決」とはズレを感じてしまったのです。 そうした模索の中で、Professional Studioとの出会いがあったのですね。当時の関わり方はどのようなものでしたか?
酒匂: 実は当時、メインで相談していたエージェントさんが別にありまして。転職活動の大部分はそこで完結しようとしていました。井村さんとお会いしたのはその後だったんです。

すでに他社で多くの求人を見ていた私に対し、エージェントとしては提案しづらい状況だったはずです。しかし井村さんは、案件を無理に押し込むようなことは一切しませんでした。
私の話にじっくり耳を傾け、いまの選択肢に満足しきれていない空気を正確に感じ取ってくれていたのだと思います。あくまで補佐的な立ち位置からキャリア全体を捉え直すための意見や選択肢をピンポイントで差し込んでくれる。絶妙な距離感が非常にありがたかったですね。
Professional Studio 井村: お話を伺う中で、酒匂さんは優秀で多彩な選択肢を持てる方だからこそ、現状の提示条件には心の底から納得されていないという肌感がありました。「この人が真に力を発揮し、輝ける場所はどこだろうか」という問いをずっと持っていたんです。
すでに転職活動は進んでおり、そんな時、ちょうどnewmoから「沖縄拠点の立ち上げメンバーを募集する」という情報が舞い込んだのです。 なるほど、それですぐに酒匂さんへ連絡されたのですね。
井村: 募集開始の連絡を受けて5分後には酒匂さんに情報をお送りしました。絶対にハマる、という確信があったわけではありませんが、選択肢の拡張としてこれを見ずに決めてしまうのはもったいないと感じたからです。すると30分も経たないうちに酒匂さんから応募の返信が来ました。
酒匂: 私は私で、井村さんから情報をいただいた瞬間に「自分が求めていたチャンスはこれかもしれない」と直感しました。
私の実家の家業が建設業なのですが、地方でタクシー事業というリアルなインフラを動かす挑戦は、家業の体験にも非常に近い手触り感があります。それをスタートアップのスピード感とアセットを活用して実行できる。いままで提示されてきたどの案件とも違う明確な魅力と手応えを感じ、迷わず「話を聞きたい」と返答しました。
迷いと葛藤を払拭したnewmo経営陣の熱量

運命的な案件との出会いから選考が始まりましたが、初期の心境は?
酒匂: 率直に言うと、最初はかなり悶々としていました。当時の沖縄立ち上げ責任者である松本さんはタスクが極限まで詰まっており、急遽選考に入った私をどう評価すべきか見定めきれていない空気感がありました。人生を賭けた意思決定なのに、相手の期待値が読めず決め手に欠けていたのです。 沖縄移住となると、ご家族の説得というハードルも大きかったそうですね。
酒匂: それが最大のネックでした。万が一失敗したらその後のキャリアはどうなるのかという“片道切符”の不安です。妻にも「さすがに沖縄は遠すぎる」と強い難色を示されてしまって。当時、妻も生活を楽しみにしていた福岡の企業が有力候補で、心の中は「福岡8割、newmo2割」という状態でした。
井村: 酒匂さんの迷いははっきり伝わっていましたが、松本さんからは「ぜひお迎えしたい」と高い評価をいただいていました。このすれ違いを解消するには直接対話が必要だと考え「違うと感じたら辞退すれば良い」というスタンスで対面面談を提案したのです。 そこで実現したのが、沖縄へ飛ぶ直前の早朝面談ですね。
酒匂: 松本さんが品川のホテルラウンジでモーニングをセットしてくださいました。熱意には感謝したものの、まだ不安はありました。ITプロダクトのプロデューサーとして洗練された印象の松本さんに対し、タクシー実務は極めて泥臭い現場です。「ホテルのラウンジでサンドイッチを食べながら話すこの方は、現場の泥臭さをどう捉えているのだろう」と、私の方が勝手に身構えてしまったんです。後で聞けば場所がそこしか取れなかったというだけの、完全な取り越し苦労だったのですが(笑)。
井村: 酒匂さんの懸念を聞き、すかさずCOOの野地さんとの面談を設定しました。野地さんと話せば、事業の解像度と経営の覚悟が間違いなく伝わると信じていたからです。

酒匂: 野地さんとの面談は痺れましたね。「KPIをどう分解するか」といった議論を通じ、自分の強みをどう発揮できるかの手触り感が一気に高まりました。ただ「絶望的な想定外が起きたらどうするか?」といった踏み絵のような質問が次々と飛んできまして(笑)。野地さんなりの気遣いだったのですが、試されている感覚もあり、辞退ラインは超えたものの確信までは至っていませんでした。 「福岡8割」から、最終的にnewmoへ決断した最大の転換点は?
酒匂: 決断期限だった金曜の夜です。一番信頼する新卒同期だった友人に相談すると「普通の人が悩むなら福岡を勧めるが、お前なら絶対にnewmoへ挑戦すべきだ。その方が後悔しない」とハッキリ言われ、ハッとしました。
しかし家族の生活環境を変える不安だけが拭えません。その夜、井村さんに「事業には強烈に惹かれていますが、家族の移住が最後の懸念です」と率直に打ち明けました。
井村: それを聞き、すぐにnewmoへ「ご家族の不安を解消できなければ良い意思決定になりません。newmoとして酒匂家に対してできることをご検討いただけませんか」と相談しました。
そこからの経営陣のスピードと誠意は圧倒的でした。休日に役員が集まり「沖縄へ移住するならどんなサポートが必要か」を自分事として徹底的に議論し、まだ整っていなかった移住者向けのサポート制度を急遽完成させ、提示してくださったのです。
酒匂:その条件を見た時、言葉を失いました。採用活動においてここまでの条件提示は極めて異例です。これほどの期待と誠意を寄せていただける機会は二度とない、と身が引き締まりました。
妻にもそれを伝え、日曜の夜、代表の青柳さんとの最終会食に臨みました。事業の未来を語り合った後、青柳さんが手土産を差し出してくださったのですが、それが驚くことに妻の大好物のスイーツで。
家に帰り改めて妻と話すと「ここまで家族の気持ちを見越して気配りをしてくれる経営陣なら大丈夫。沖縄へ行きましょう」と背中を押してくれました。金曜日に悩んでいたのが嘘のように、月曜の朝には自信を持って内定承諾の連絡を入れていました。
移動で地域をカラフルにし、人の選択肢を最大化する

晴れて入社され、現在は「ゆいかじ交通」の事業管掌執行役員として活躍されています。現在のご自身の役割やミッションを教えてください。
酒匂: この肩書は当初から決まっていたわけではなく、着任時に松本さんが育休に入り、オープン直前の現場を統括する「代表代行」のような形で拝命しました。 現在の役割分担は明確です。圧倒的なアート思考で中長期のビジョンを描く松本さんに対し、私は泥臭い「執行力」でそれを最速で実現していく役割。面談時の不安は完全に消え去り、いまでは心から尊敬する上司と事業を推進しています。 これまでのマネジメント経験と、ゆいかじ交通での業務の最大の違いは何ですか?
酒匂: 役割が細分化された少数精鋭のプロ集団である点です。過去の営業組織のようにリーダーが現場の最前線に出るマイクロマネジメントをすると、私が不動産交渉にかかり切りになっている間に採用が停滞するなど、たちまち機能不全に陥ります。専門領域を各プロに委ね、自分はどこで意思決定に介在すべきか。ビジネスパーソンとしての総合力が強く試されていますね。 どのような瞬間に仕事のやりがいを感じますか?
酒匂: 最終的なアウトプットが「人」である点です。私たちがオフィスで会議を重ねても売上は1円も生まれません。採用した乗務員さんが気持ちよくハンドルを握り、お客様に価値を提供して初めて対価が発生する。 AI全盛の時代に、毎日コンディションの違う「人間」と真正面から向き合い、乗務員さんの人生まで見据えた環境を作る。この泥臭いプロセスにこそ、本質的なやりがいがあります。

ゆいかじ交通は、沖縄の地域社会にどのような変化をもたらすのでしょうか?
酒匂: 沖縄は車社会である一方、出生率が高く、高齢者と同居する世帯も多い。結果として現役世代が家族の送迎に追われ、自分の時間や稼ぐ機会を奪われるという構造的な課題があります。 移動の不自由さは、連鎖的に地域の経済機会や生活の質までも低下させてしまうのです。私たちが自由な移動手段を提供できれば、人々をその制約から解放できる。まさに私が人生をかけて追い求めてきた「選択肢の最大化」がここにあります。
今回の転職活動を振り返り、Professional Studioの介在価値をどう評価されますか?
酒匂: 井村さんの「距離感」が絶妙でした。他社先行の中で無理に押し付けず、必要なタイミングで最適な選択肢を提示してくれた。さらに、一番の懸念だった家族の不安をnewmo経営陣に共有し、双方が納得する解を導き出してくれました。井村さんの伴走がなければ、間違いなくいまの私はここにいません。
井村: 求職者ご本人が諦めない限り、私たちが可能性を勝手に狭めてはいけないと深く学びました。酒匂さんが高い志で沖縄の事業を立ち上げ、先日社内でMVPを受賞されたと聞き、胸が熱くなりました。地方で挑戦する人材と、それを真摯に受け止める企業を繋ぐことは、日本の可能性を広げるインフラになると確信しています。
最後に、酒匂さんご自身の仕事哲学と今後の野望をお聞かせください。
酒匂: 大切にしているのは「人を諦めないこと」。自分が目立つのではなく、周りの背中を押し、1だった能力を2や3に引き出すことこそが私の最大の喜びです。 今後はnewmoで培う「地方での事業立ち上げノウハウ」を極限まで再現性の高い仕組みに昇華させたい。将来、別の巨大な地方課題に直面した時も、日和ることなく前向きに、そしてご機嫌に立ち向かえる人間であり続けたいですね。
今回の事例は、卓越したキャリアを持つビジネスパーソンと社会課題解決に挑むスタートアップの出会いがいかにして結実したかを示す、象徴的なエピソードです。
酒匂氏が抱いていた「地域の選択肢を増やす」という一貫したキャリア軸、そして移住に伴うご家族の不安。その双方に深く寄り添い、決して可能性を狭めることなく最適なタイミングで介入したProfessional Studioの伴走が意思決定の決定打となりました。そして候補者の不安を払拭するために休日返上で手厚いサポート体制を構築したnewmo経営陣の圧倒的な誠意。
求職者・エージェント・企業の三者が「人を諦めず、真摯に向き合う」という姿勢を共有したからこそ、血の通った転職ドラマと地域社会を変革する新たなリーダーシップが誕生しました。Professional Studioはこれからも、挑戦する人と企業の可能性を信じ抜き、持続可能な未来を創るマッチングを提供し続けます。

最後まで読んで頂きありがとうございました。
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